九州の神社

宮崎県・皇子原神社(高原町)

御祭神

御祭神ごさいじん神武天皇じんむてんのう幼名ようめい狭野尊さののみこと

由緒

狭野神社さのじんじゃ境外けいがい末社まっしゃ皇子原神社おうじばるじんじゃは、人皇じんこう第1代の神武天皇じんむてんのう御降誕ごこうたんされた地として顕彰けんしょうされています。

幼名ようめい狭野尊さののみことしょうした神武天皇じんむてんのうは、神社後背こうはいの「産婆石うべいし」の付近で御生誕ごせいたんになられたと伝えられています。それ故、当地は母君ははぎみ玉依姫命たまよりひめのみこと御祭神ごさいじんを出産された産屋跡うぶやあとともされています。狭野神社さのじんじゃは、第5代孝昭天皇こうしょうてんのう(前475-前393)の御代みよ神武天皇じんむてんのう御生誕ごせいたん霊跡れいせきに御創建そうけんされたのが創祀そうしです。神武天皇じんむてんのう幼名ようめい狭野尊さののみこと奉称ほうしょうするのは、狭野さのの地名によるものとされ、皇子原神社おうじばるじんじゃは、その狭野神社さのじんじゃ元宮もとみやにあたります。「産婆石うべいし」は、神武天皇じんむてんのう御生誕ごせいたんの際に産湯うぶゆ御取おとりになられたと伝承でんしょうされ、安産あんざんをもたらすと信仰しんこうされています。

神武天皇じんむてんのうは、幼年期ようねんきを当地で過ごされ、狭野神社さのじんじゃから皇子原神社おうじばるじんじゃにけての一帯には、神武天皇じんむてんのう御生誕ごせいたん霊跡れいせきとされる地が多く、皇子滝おうじたき皇子川原おうじかわら御池みいけ皇子港おうじこうなどの地名が残っています。御年おんとし15歳の時に皇太子こうたいしかれてからは旧宮崎神宮みやざきじんぐう政治まつりごとをおりになりました。

皇子原神社おうじばるじんじゃ鎮座地ちんざち皇子原神社おうじばるじんじゃ古墳群こふんぐんでもあり、皇子原神社おうじばるじんじゃ古墳群こふんぐんには6基あります。皇子原神社おうじばるじんじゃは1号古墳ごうこふんの上に鎮座ちんざしており、大正14年のトロッコ道開設時に、6号墳ごうふん付近から土器が出土したと言われています。現状保存のため発掘調査は実施していませんが、現在残されている土盛つちもりは、5世紀後半から6世紀前半に作られた、西諸県にしもろかた地方特有の「地下式ちかしき横穴墓よこあなぼ」の墳丘ふんきゅうと考えられています。

大正9年3月には後の昭和天皇しょうわてんのう皇太子こうたいしとして御参拝ごさんぱいされ、歴代れきだい皇族こうぞくのご崇敬すうけいあつく、昭和20年迄は国家行事として天孫てんそん降臨祭こうりんさい挙行きょこうされていました。

Photo・写真

境内入り口 社殿 社殿 社殿 社殿 社殿 社殿 社殿 産婆石 皇子原公園の狭野尊像

情報

住所〒88-4414
宮崎県西諸県郡にしもろかたぐん高原町たかはるちょう蒲牟田かまむた3-251
創始そうし孝昭天皇こうしょうてんのう(前475-前393)の御代みよ
社格しゃかく狭野神社さのじんじゃ境外けいがい末社まっしゃ
例祭4月8日
関連 狭野神社(高原町)
皇宮神社(宮崎市)
宮崎神宮(宮崎市)
都農神社(都農町)
立磐神社(日向市)

地図・マップ