九州の神社

健男霜凝日子神社・下宮(竹田市)

御祭神

御祭神ごさいじん 健男霜凝日子神たけおしもこりひこのかみ
配祀神はいしがみ 豊玉姫命とよたまひめのみこと比咩神ひめのかみ)、彦五瀬命ひこいつせのみこと大太夫夫婦だいだゆうふうふ華御本姫はなのおもとひめ
合祀神ごうしがみ 大山祇尊おおやまつみのみこと奥津彦尊おきつひこのみこと奥津姫命おきつひめのみこと少彦名尊すくなひこなのみこと猿田彦命さるたひこのみこと菅原道眞すがわらみちざね木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと大巳貴尊おおなむちのみこと面足尊おもだるのみこと惶根尊かしこねのみこと

由緒

祖母山山頂そぼさんさんちょう上宮じょうぐう祖母山そぼさん北麓ほくろく下宮げくう神幸所みゆきしょ、及び穴森神社あなもりじんじゃからなる健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃは、延長えんちょう5年(927)編纂へんさんの『延喜式えんぎしき』にて豊後国ぶんごのくに式内小社しきないしょうしゃとして記載きさいされた健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ論社ろんしゃです。下宮げくうは、南面なんめんする祖母山そぼさんと対する山稜さんりょう中腹ちゅうふく、約240段の石段を登った岩窟内がんくつない鎮座ちんざしています。

『延喜式』巻十 神祇下 ※通称『延喜式神名帳』 延長5年(927)編纂

西海道神一百七座[大卅八座・小六十九座]。…(略)…。豐後國六座[大一座・小五座]。直入郡一座[小]。建男霜凝日子神社。大分郡一座[大]。西寒多神社。速見郡三座[並小]。宇奈岐日女神社、火男火賣神社二座。海部郡一座[小]。早吸日女神社。

御祭神ごさいじんは、健男霜凝日子神たけおしもこりひこのかみ風雪ふうせつ除霜じょそうの神)・彦五瀬命ひこいつせのみこと神武天皇じんむてんのうの兄)・豊玉姫命とよたまひめのみこと(海の神)。相殿あいどの比咩神ひめのかみまつっています。標高1756mの祖母山そぼさんは、宮崎県との境にあり、祖母山そぼさん系の最高峰です。神社名からして、山地での霜害そうがいにまつわる信仰が元になっていると考えられ、晴雨せいう風雪ふうせつ等、天候の守護神しゅごしんとされています。当初は、健男霜凝日子神たけおしもこりひこのかみ比咩神ひめのかみ御祭神ごさいじんとしてまつっていましたが、平安時代以降に豊玉姫命とよたまひめのみこと比咩神ひめのかみ)、彦五瀬命ひこいつせのみこと大太夫夫婦だいだゆうふうふ華御本姫はなのおもとひめ配祀はいししたと考えられています。

創祀そうし不詳ふしょうですが、白雉はくち2年(651)に下宮げくう社殿しゃでん建立こんりゅうされました。祠宇しうを修復するごとに、棟札むねふだ創建そうけんの記録が記されています。御祭神ごさいじん豊玉姫命とよたまひめのみこと神武天皇じんむてんのう皇祖母こうそぼにあたることから、嫗嶽大明神うばだけだいみょうじん姥嶽大明神うばだけだいみょうじん鵜羽明神うばだいみょうじん祖母山大明神そぼさんだいみょうじんと称されてきました。

続日本後紀しょくにほんこうき』によれば承和じょうわ10年(843)に従五位下じゅごいげ、『日本三代実録にほんさんだいじつろく』によれば元慶がんぎょう7年(883)に正五位下しょうごいげ神階しんかいが授けられたことが記されています。

『續日本後紀』卷十三』

承和十年(843)九月甲辰。…(略)…。豐後國无位健男霜凝并比咩神。無位早吸咩神。


『日本三代實錄』卷四十四 元慶七年(883)

九月甲午朔。二日乙丑。…(略)…。授豐後國從五位上建雄霜起神。早吸咩神・宇奈支比咩神。竝正五位下。

文禄ぶんろく3年(1593)中川秀成なかがわひでしげ岡藩おかはん入封にゅうほうして以後、領主りょうしゅ中川家なかがわけからの崇敬すうけいも厚く、数次社殿しゃでん修築しゅうちくし、明治維新に至るまで神田しんでん一段いちだん二畝にうね寄附きふされていました。

明治6年(1873)に郷社ごうしゃ、明治12年(1879)11月に県社けんしゃ列格れっかく。明治41年(1908)に、神原こうばる字山ノ神あざやまのかみ鎮座ちんざしていた山神社やまのかみしゃ大山祇尊おおやまつみのみこと奥津彦尊おきつひこのみこと奥津姫命おきつひめのみこと少彦名尊すくなひこなのみこと猿田彦命さるたひこのみこと中角なかつの字神ノ平あざかみのひら鎮座ちんざしていた明神社みょうじんしゃ豊玉姫命とよたまひめのみこと大山祇尊おおやまつみのみこと中角なかつの字田久保に鎮座ちんざしていた天神社の菅原神・木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと大山祇尊おおやまつみのみこと大巳貴尊おおなむちのみこと面足尊おもだるのみこと惶根尊かしこねのみこと。3社を合祀ごうし。昭和2年(1927)2月21日には、穴森神社あなもりじんじゃ合祀ごうししました。現在の社殿しゃでんは、昭和45年(1970)5月の建立こんりゅうです。

なお健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ、及び穴森神社あなもりじんじゃ神主かんぬし宮砥八幡社みやどはちまんしゃ相馬氏そうましですが、鍵番かぎばん大神氏おおがしの流れを汲む阿南氏あなんしが勤めていることから三輪山信仰みわやましんこうとのつながりが考えられています。


境内社けいだいしゃなど】

嫗嶽稲荷大明神うばだけいなりだいみょうじん

社殿しゃでんの右手上方に鎮座ちんざ。昭和52年(1977)5月の造営ぞうえい。そのため石段の参道さんどう途中に赤い稲荷鳥居いなりとりいが並んでいます。

上宮じょうぐう

祖母山山頂そぼさんさんちょう石祠いしほこらまつられる上宮じょうぐうは、山岳信仰さんがくしんこうどころとしてまつられています。しかし天正てんしょう年間(1573-1593)にキリシタン大名の大友氏おおともしに破壊され、御神体ごしんたい深谷しんこくてられ、以後は石をまつって神とされていました。現在の石祠いしほこらは、明治2年(1869)旧岡藩知事おかはんちじ中川久成なかがわひさなり宮内大丞くないたいじょう小河一敏おごうかずとしにより建築されたものです。

神幸所みゆきしょ遙拝所ようはいじょ)」

当社から東400mほど。神原川こうばるがわに架る「やま神橋かみはし」の側にある昭和8年(1933)建立こんりゅうやしろ。秋祭りには、健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ穴森神社あなもりじんじゃ御神幸ごしんこうがあります。(⇒詳細)

穴森神社あなもりじんじゃ

当社から南東1.5kmに鎮座ちんざ。『平家物語へいけものがたり』にて語られる大蛇だいじゃ華御本姫はなのおもとひめとの神婚しんこん緒環伝説おだまきでんせつ」の舞台です。その末裔まつえい岡城築城主おかじょうちくじょうしゅ緒方惟栄おがたこれよしとされています。(⇒詳細)

御神像ごしんぞう

大太夫夫婦像だいだゆうふうふぞう華御本姫像はなのおもとひめぞうの3体の御神像ごしんぞう宝物ほうもつとされています。華御本姫はなのおもとひめは、『平家物語へいけものがたり』にも記された当地の大蛇伝説だいじゃでんせつの主役となる娘です。大太夫夫婦だいだゆうふうふは、華御本姫はなのおもとひめの親で日向国ひゅうがのくに塩田しおた大太夫だいだゆうです。大太夫だいだゆうの像中に「文明ぶんめい16年(1484)10月16日体色たいしょく彩色さいしき」とあり、南北朝~室町期のものと考えられています。


神事しんじ祭事さいじ

9月23日に秋祭り(例大祭れいたいさい)が健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ穴森神社あなもりじんじゃと合同で斎行さいこうされます。白熊はぐま獅子しし神輿みこしのおともをし、神幸所みゆきしょ遙拝所ようはいじょ)で盛大に祭典さいてんを行います。健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ御祭神ごさいじん祖母山そぼさんの神)が変化したのが、穴森神社あなもりじんじゃの伝説で伝えられる大蛇だいじゃであるとされているため、御神輿おみこし獅子ししの順序は、健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃが先となっています。昔は、23~24日の2日間の祭典さいてんで、御神体ごしんたいは、神幸所みゆきしょに一泊していました。5月2日には、「風祭かぜまつり・祖母山そぼさん祭り」が斎行さいこうされます。元は、旧暦7月4日に夏祭りとして行われていましたが、祖母山そぼさん山開やまびらきを兼ねて行われています。

Photo・写真

  • 一之鳥居
  • 階段参道
  • 階段参道
  • 階段参道
  • 階段参道から社殿
  • 境内
  • 手水舎
  • 社殿
  • 社殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 本殿
  • 嫗嶽稲荷大明神

情報

住所〒878-0574
竹田市たけたし神原こうばる1822
創始そうし不詳ふしょう下宮げくう社殿しゃでん創建そうけん白雉はくち2年(651)
社格しゃかく式内小社しきないしょうしゃ県社けんしゃ [旧社格きゅうしゃかく]
例祭れいさい9月23日
神事しんじ5月2日(祖母山そぼさん祭り)
関連 健男霜凝日子神社・神幸所
穴森神社
HP Wikipedia

地図・マップ