高見神社は、熊襲討伐・三韓征伐の時代、神功皇后によって奉祭されたとされる神社です。古文書に神功皇后を祭る神社とあり、豊山八幡神社と並ぶ旧社にして高見の産神であったと伝えられています。
明治29年(1896)官営製鐵所建設にあたって豊山八幡神社の宮前に遷座。その後、昭和8年(1933)の明仁親王殿下の御生誕と日本製鐵株式会社創立を慶機として現在の社が建立されました。
神功皇后は、仲哀天皇8年(199)9月に仲哀天皇と共に熊襲討伐のため親征し、筑紫(九州)に向かいます。その途上、岡県主の祖である熊鰐が、天皇の車駕が来ることを聞きつけ、周芳の沙麼の浦(山口県防府市佐波)にて、500本の榊を9艘の船の舳先に立て、上枝に白銅鏡、中枝に十握剱、下枝に八尺瓊を掛け、周芳の沙麼の浦にて出迎えます。そして魚と塩が取れる土地を御領として献上し、筑紫(九州)の航路を伝え、船を導きました。
『日本書紀』巻第八
仲哀天皇八年春正月己卯朔壬午、幸筑紫。時岡縣主祖熊鰐、聞天皇之車駕、豫抜取五百枝賢木、以立九尋船之舳先、而上枝掛白銅鏡、中枝掛十握剱、下枝掛八尺瓊、参迎于周芳沙麼之浦。而獻魚鹽地。
仲哀天皇八年(199)の春正月の己卯朔壬午に、筑紫に幸す。時に、岡県主の祖熊鰐、天皇の車駕を聞りて、予め五百枝の賢木を抜じ取りて、九尋の船の舳先に立てて、上枝には白銅鏡を掛け、中枝には十握剱を掛け、下枝には八尺瓊を掛けて、周芳の沙麼の浦に参迎ふ。魚塩の地を献る。
熊襲討伐の中、仲哀天皇が崩御しますが、その後の政事を執り行なった神功皇后は、熊襲討伐を成し遂げ、続いて三韓征伐に向かいます。神功皇后は、帆柱山より帆柱材を切り出して船団を整え、戦勝祈願のため洞海湾の小山、尾倉字高見(現・東田)に天神皇祖神十二柱をお祀りしました。それが高見神社の創始とされ、熊鰐の子孫によって代々祀られてきました。
天正14年(1586)小早川隆景が、豊臣秀吉の西国統下に伴い、崇敬あつく武運を祈願されました。その天正期(1573-1592)に東尾倉より若宮社が相殿に遷座。『高見大神宮縁起』や、文久2年(1862)建立の鳥居の額束には「高見大神宮」と称され、遠賀・鞍手両郡の郡代・役所より奉幣がなされました。社殿の御造営には郡の御備米があてられ、近郷の高見神社の本宮とされました。
明治29年(1896)官営製鐵所建設により髙見神社も同所用地となったため、明治31年(1898)尾倉の豊山八幡神社の隣接地に遷座。爾来、工場の拡張と共に地主神たる守護神として祀られました。製鐵所では高見神社の御神威をかしこみつつ、日本国家の近代化産業の守護神としてふさわしい神社を新たに建立する気運が高まります。昭和8年(1933)の明仁親王殿下の御生誕と日本製鐵株式会社創立を慶機として四季を通じて美しく由緒深き大蔵字入地(現・高見地区)に現在の高見神社を御造営する運びとなりました。
昭和8年(1933)高見神社御造営奉賛会が設立され、「髙見神社御造営大事業」は、官営製鐵所と内務省(現在の総務省)共同の国家事業として行われました。初代渡邊義介所長をはじめとする当時の製鐵所従業員・関係企業の社員・地域は勿論、崇敬あつき人々の御浄財と御奉仕により、10年の歳月を要しました。当時、ひとりひとりが気持ちを込めて植えた樹木は、今や広大な大自然に恵まれた鎮守の杜(御神域)となっており、珍蝶アサギマダラが舞うなど、小鳥の楽園、渡り鳥や野鳥の宝庫です。特に古今伝授の三霊木の一つとして有名な招霊木は、髙見神社の御神木となっています。
相殿には、天正時代のはじめに東尾倉より遷された若宮社のほか、官営製鐵所ゆかりの地の神社も合祀されています。洞海湾の小島、小丸山の惣御前社は、風浪に洗われたため相殿として祀られました。高見神社御造営の大石垣に小丸山の石が使用され、神楽殿入口の手水石は当時の鳥居の台石です。 大蔵字河内の歳守社は、製鐵所河内貯水池となったため、髙見神社御遷座の際に相殿として祀られました。
昭和24年(1949)5月18日には、昭和天皇九州御巡幸にあたり、福岡県下の旧官幣大社とともに、特に御幣帛を賜りました。昭和を代表する総檜木流造の御社殿とともに、高見神社に由緒ある人々と心と歴史を伝えています。
「相殿」
若宮社
- 東尾倉より天正期(1573-1592)のはじめに遷座。
- 御祭神:大雀命(仁徳天皇)。学問、知恵、交易の神。経営の神。
- 御祭神:石之比売命。子育て、家内安全、家庭円満の神。良妻賢母の神。
惣御前社
- 洞海湾の小島、小丸山に鎮座するも、風浪に洗われたため遷座。
- 御祭神:宗像三女神(多紀理毘売命・市杵島比売命・多岐都比売命)
- 洞海湾の守護神。筑前・豊前国境の神。長崎街道の神。交通安全・防衛の神(必勝の神)
- 宗像三女神は、宗像大社の御祭神で、交通安全・防衛の神です。小丸山(現在の洞海湾)が交通の要所であった事、現在の高見神社が筑前・豊前国境にあたり、長崎街道の要であった事から、相殿に奉られました。
- 高見神社御造営の大石垣に小丸山の石が使用されています。
- 神楽殿入口の手水石は高見神社御造営時の鳥居の台石です。
歳守社
- 大蔵字河内に鎮座するも、製鐵所河内貯水池となり、昭和8年(1933)の高見神社御遷座にあたり合祀の上、相殿に奉られました。
- 御祭神:大己貴命(大黒様・八千矛神・大国主神)。厄除けの神。商売繁盛、経営の神。縁結び、家内安全の神。医療、健康の神。
- 御祭神:豊受姫命。食物、商売繁盛の神。