宮地嶽の山腹に位置する宮地嶽神社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたる息長足比売命(神功皇后)を主祭神に、勝村大神・勝頼大神を配祀神とし、その三柱の神を宮地嶽三柱大神として祀っています。その御加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなう「何事にも打ち勝つ開運の神」として、商売繁昌、家内安全の守り神として多くの方に信仰されるようになりました。
創建は不詳ですが、口碑社伝等によれば息長足比売命(神功皇后)は、仲哀天皇9年(200)の三韓進攻の前にこの地に滞在し、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇を祀り「天命を奉じてかの地に渡らん。希はくば開運を垂れ給え」と祈願の上、船出されたと伝えられています。そして御帰還後、この「宮地嶽」の山頂に祠を建て、恭しく天津神を御奉祀し、今も宮地嶽山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所があります。勝村大神・勝頼大神は、その三韓進攻に随従して常に先頭に立ち勝鬨を挙げた神で、この「宮地嶽」の山頂に祠の祠掌を命ぜられ当地を領したと伝えられています。その後、本社は息長足比売命(神功皇后)の御偉業を称えて主祭神と祀り、御功神の勝村大神・勝頼大神の両神を併せて祀り、宮地嶽三柱大神として崇めたとされています。
宗像大社の鎌倉期の年中行事を記す『正平二十三年(1368)宗像宮年中行事』には、当社の12月20日の年中行事(嶽祭)のことが見えており、75末社の条には宮地嶽社と勝村大明神社が並んで見えて、神事に関する詳細なる記事が出ています。宗像大宮司家より奉献された祭桑田・御供田・九拝田等の名称を残す神田が、今なお付近に残っていることから、すでに500~600年前から相当盛大なる御社であったと想像されます。
境内には、寛保元年(1741)で突然の山崩れで出土した、日本最大級の大きさを誇る横穴式石室を有する巨石古墳が有ります。この古墳は7世紀前半~中頃の築造と推定され、地下の正倉院と称されています。その石室は、全長23m、高さ幅ともに5mを超え、渡半島の礫岩を立方体に切り取った巨石が積み重ねられています。特大大刀や刀装具、馬具類、緑に輝く瑠璃壺や瑠璃玉、そして瑠璃板など、およそ300点が発見され、そのうちの20点もの品々が昭和36年(1961)国宝に指定されました。金銅装透彫冠は精巧な龍や虎の透かし彫りが施され、歩揺がついた跡が残っています。金銅装頭椎大刀は全長2mにも及ぶ全国最大級の大刀で、頭椎がつき、金の装飾が施されています。さらに金銅製の鐙(足置き用の馬具)は、七葉唐草文が貼付され、遠くオリエントからの影響を見ることができます。このことから宮地嶽古墳は、当時この一帯を治めた埋葬者の絶大な威勢を示して余りあるものとされています。この宮地嶽古墳は平成17年(2005)3月2日に国指定史跡に指定されました。
この稀なる黄金の出土品や、この地に伝わる伝承から、古来より宮地嶽に祀られる神は、崇高かつ有福な神として慕しまれていました。そして、時代の変遷とともに開運の神、商売繁昌の神として崇められるようになっていきました。宮地嶽神社には日本一の大注連縄、大太鼓、大鈴がありますが、これらもまた、この日本一の聖なる力にあやかろうとする信仰から奉納されものです。
明治5年(1872)11月3日村社に列格。明治10年(1877)9月3日夜に社殿焼失しますが、同13年(1880)5月本殿、幣殿を新営。同15年(1882)7月宗像神社の摂社となり、同32年(1899)4月27日には県社に昇格しました。大正7年(1918)2月、境内を拡張する設計・改築の出願をし、10月認可。大正11年(1922)12月に宮地嶽の整地を終えると共に、建築用材として台湾阿里山の檜40万才、宗像郡孔大寺山の老杉20万才、徳山産花崗岩18万6千才が用いられて建築に着手。現在の神殿、幣殿、拝殿、透塀、神楽殿、祓殿、神饌所、楼門、社務所、南北廻廊、南門、開運殿が10ヶ年延25万人の作業員を要して新築され、昭和5年(1930)10月22日に御遷座になりました。平成22年(2010)には御遷座80年の節目に北部九州王朝の聖地として栄えたこの地に相応しく、宮地嶽の古墳の主が黄金の宝冠を頭上に掲げていたようにゴールドチタン製の黄金の屋根に生まれ変わっています。
【境内社など】
「大注連縄」
直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンの日本一の大注連縄は、宮地嶽神社のシンボルです。毎年掛け替えられ約2反の御神田に、昔ながらの稲を生育させ、丹精込めた藁にて作られています。稲の発芽から注連縄の掛け替えまで、全て当社に縁の深い方々による奉納で、掛け替えまでには、延べ1500人もの方々による奉仕を頂いています。
「大太鼓」
直径2.2メートルの日本一の純国産大太鼓です。全て国内より調達した材料により製作されています。太鼓の胴は檜を原木とし、その表面に漆を幾重にも重ねて音の響きを大切に致しております。その上、左右の鼓面には和牛の皮を太鼓用になめしたもので、今日の国産和牛では入手できないサイズの皮で調製されています。例年、1月1日午前零時に大太鼓は打ち鳴らされ、その音は境内から数キロ離れた所にも響きます。
「大鈴」
重さは450kgもある銅製の大鈴で、篤信の方のご奉納によるものです。昭和35年(1960)迄は大注連縄と共に拝殿に飾られご参拝の方々が驚かれていましたが、その重量の為、鈴堂を建立して大太鼓と共に奉安されています。
「光の道」
神社正面の男坂の上から、9月の秋季大祭で御旅所となる宮地浜まで至り相島を望む西向きの参道は約800mに渡る直線道路です。この延長線上に日没する2月24日の後数日、10月18日の前数日は、夕日が参道の延長線上に残り、夕日と参道が一直線に並ぶ光景は「光の道」と称されています。この時期に「夕日のまつり」が開催されています。
「須賀神社」
社殿向かって右手、奥之宮八社参道の入り口前に鎮座。素盞嗚尊を祀っています。
「六社神社」
社殿向かって左手奥に鎮座。宗像神社(宗像三女神)、五穀神社(保食神)、海積神社(和多津見神)、愛宕神社(加具槌神)、龗神社(高龗神、闇龗神、少童神)、菅原神社(菅原道真公)を合祀して祀っています。
「御神水」
六社神社の手前の御神水は、宮地嶽から湧き出た霊水です。
奥之宮八社
宮地嶽神社には、神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する御本殿の他に「奥之宮八社」と呼ばれる社が祀られています。「一社一社をお参りすれば大願がかなう」と信仰され、昔から多くの人が訪れています。奥之宮八社巡りの信仰は日本最大級の石室古墳の発見を機に不動神社が奉祀されたことから盛んになりました。
「一番社・七福神社」
福徳を授けてくれる神様として信仰される七福神(恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋)が祀られています。奥之宮参道を登り、ボタン園を過ぎ、大塚稲荷神社の手前右手に鎮座しています。
「二番社・大塚稲荷神社」
食物とお米の豊作を守る豊受姫神を祀っています。稲の豊かな実りを守る神様から転じて商売繁昌をお願いする神様です。五穀豊穣、腕前上達、商売繁昌の御神徳があり、農家のみなさんはもちろん、飲食店、調理人の方からの崇敬を集めています。2月の初午の日には、招福だんご祭と称される初午大祭が斎行されています。2月の最初の午の日に総本社伏見稲荷大社の稲荷山に御鎮座されたことが由縁とされています。「招福三色だんご」をお振る舞い致しております。三色の団子にはそれぞれに家内安全・商売繁昌・五穀豊穣の意味が込められています。
「三番社・不動神社」
宮地嶽神社の奥之宮である不動神社は、巨石を使った横穴式石室の中に霊験あらたかなる「お不動様(不動明王)」をお祀りしています。寛保元年(1741)で突然の山崩れで石室が顕れ、延享4年(1747)に石室の奥に不動尊を祀り、穴不動と称されていました。この古墳は地下の正倉院と呼ばれ、発見された出土物のうち20点が国宝に指定を受けています。春季大祭が2月28日。夏季大祭が7月28日。日本最大級の横穴式石室に鎮まります不動明王の御神徳に感謝する祭典です。春季大祭は、ぜんざい祭とも称され、日本一の金銀大釜で作られる「ぜんざい」を召し上がることにより、不動明王様は、「善哉・善哉(よきかな・よきかな)」と言って、皆様の願いを聞いて下さるとされています。春季大祭、夏季大祭、1月28日の初不動祭(考養ロウソク神事)の年3回、石室奥での一般参拝ができます。
「四番社・万地蔵尊」
子供達の守り神。お地蔵様は子供達の守り神で、宮地嶽のお地蔵様は万地蔵さまと呼ばれています。子供の願い事は何でも(万・ヨロズ)聞いていただけます。8月15日に万地蔵尊夏祭が斎行されます。
「五番社・恋の宮」
女性の体をお守りする淡島様と、心をお守りする濡髪様と、共に女性の心身内外をお守りすることから「恋の宮」と呼ばれ、多くの方々に参拝頂いています。特に女性特有の体の病や恋愛に霊験あらたかで、お社の脇に鎮座まします陰陽石等、名実共に恋の宮に相応しいお社です。
「六番社・三宝荒神」
竈、火除けの神様が祀られ、祈願線香を供えてお参りします。荒々しい火の神様で、火をコントロールする霊力があります。昔は、竈の火で煮炊きをしていたことから、竈の守り神、台所や食べ物・調理の神様として信仰されています。また「三宝」とは人々の生活の根幹を成す水・食物を生育させる土・調理する火の、水土火とも言われています。祈願線香をお供えしてお参りします。
「七番社・水神社」
万物の源、水を司る水波能売命を龍神様として祀っています。宮地嶽周辺には大河がありませんが、水神社は龍神様の御神力で水枯れもする事無く水がコンコンと湧き出ています。参拝すると無病息災・延命長寿・豊漁・豊作が得られると言われています。例祭日は7月28日。
「八番社・薬師神社」
あらゆる病難から救う神様として大己貴命、少彦名命を祀っています。修験者が宮地嶽の山中にて修行を行う際に、病気や怪我が無いようにとお薬師様をおまつりしたのが始まりとされています。病に苦しむ人々の信仰が強い神社です。病気平癒祈願の依頼書を御神前にお供えになられたり、護符(お札)や 和漢薬草等求められる方も沢山参拝されています。例祭日は5月3日。