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【
事件の発覚を受け、
そして
その翌年の
そして同年の11月9日。地上から7尺(約2.1m)の高さに浮かんだ7歳の
『御託宣集』威巻七 小倉山社の部(下)
後日。七歳童子地上七尺登。託宣。同九日也。 自今以後不可用託宣須。杜女穢我弖成偽託宣故加。十五年不可住此須。可移大尾志。自今以後七歳童子地上七尺登坐天云事乎可用者。
後日、七歳の童子、地上七尺に登つて託宣す。同じき九日なり。 今より以後、託宣を用ふべからず。杜女は我が峯を穢して、偽の託宣を成すが故に、十五年、此に住むべからず。大尾に移るべし。今より以後、七歳の童子、地上七尺に登り坐して、云ふ事を用ふべしてへり。
その
『御託宣集』力巻八 大尾社の部(上)
称徳天皇二年。自天平神護二年丙午冬天。迄神護景雲元年。両年之間。守託宣官符等。宇佐公池守差造宮之押領使切払大尾山頂小椋山東。奉造大菩薩之宮。同帝三年。神護景雲元年丁未。奉崇鎮神躰。
称徳天皇二年、天平神護二年冬天より、神護景雲元年迄、両年の間に、託宣・官符等を守り、宇佐公池守は、造宮の押領使を差して、大尾山の頂を切り払ひ、大菩薩の宮を造り奉る。同じき帝三年、神護景雲元年丁未に、神躰を崇め鎮め奉る。
この
そして
【
同年7月11日、
『八幡宇佐宮御託宣集』力巻八・大尾社部(上)
御殿之上紫雲忽聳出。如満月輪而出御和光満宮中。爰清麻呂傾頭合掌奉拝。見之顕現御躰、即無止僧形、御高三丈計也。対清麻呂而宣。清麻呂卿、汝不信託宣。女祢宜奉仕者、撰仕者。墨天日継、必帝氏使継。天日継、御身中日足継給。墨帝御在皇朱血諸天護神祇。大神吾、我天御子血、御座之時、奉護奉。一云。神吾、天日継、必朝帝氏奉令継。朝天毎日光、永奉令有。神吾、帝可御座皇子、自朱子諸天神祇共奉護。我國家開闢以來、君臣定矣。以臣爲君、未之有也。天之日嗣必立皇緒。无道之人、宜早掃除。
御殿の上に紫雲、忽ち聳出す。満月の輪の如く出で御し、和光、宮の中に満つ。爰に、清麻呂、頭を傾げ合掌し拝見す。見るに顕現したる御躰、即ち止んごと無き僧形にして、御高さ三丈計り也。清麻呂に対して宣る。清麻呂卿、汝託宣を信ぜず。女祢宜の奉仕をする者は、撰じ仕つる者なり。天の日継は、必ず帝氏を継が使めん。天の日継は、御身の中より、日の足継ぎ給はむものぞ。帝と御在すべき皇子をば、朱き血より諸天も護り、神祇も護るものぞ。大神吾、我が天御子の血を御座の時よりしまき奉り、護り奉ればこそ。一に云く。神吾、天の日継は、必ず朝の帝氏を継がしめ奉らむとぞ。朝天は日の光の毎く、永く有らしめ奉らんとぞ。神吾、帝と御座すべき皇子をば、朱子より、諸天神祇共にして、護り奉るなり。我が国は開闢以来、君臣定まれり。臣をもって君と為すこと、未だこれ有らざるなり。天日嗣には必ず皇緒を立てよ。無道の人は、宜しく早く掃ひ除くべし。
『続日本紀』巻三十 神護景雲三年
神護景雲三年九月己丑。…(略)…。始大宰主神習宜阿曾麻呂希旨。方媚事道鏡因矯八幡神教言。令道鏡即皇位天下太平。道鏡聞之深喜自負。天皇召清麻呂於床下勅曰。昨夜夢八幡神使来云。大神爲令奏事請尼法均。宜汝清麻呂相代而往聴彼神命。臨発道鏡語清麻呂曰。大神所以請使者。蓋爲告我即位之事。因重募以官爵。清麻呂行詣神宮。大神詫宣曰。我国家開闢以來君臣定矣。以臣爲君未之有也。天之日嗣必立皇緒。无道之人。宜早掃除。清麻呂来帰奏如神教。於是道鏡大怒解清麻呂本官出爲因幡員外介。未之任所尋有詔除名配於大隅。其姉法均還俗配於備後。
神護景雲3年(769)9月己丑(25日)。…(略)…。始め大宰の主神の習宜の阿曾麻呂、旨を希ひて、方に道鏡に事ふるべく媚び、因りて八幡の神の教えと矯りて言はく。道鏡をして皇位に即かしめば、天下太平ならんと。道鏡これを聞き、深く喜びて自負す。天皇、清麻呂を床下に召して、勅して曰く。昨夜夢みるに、八幡の神の使ひ来て云ふ。大神、事を奏せ令めんと為して、尼の法均を請ふ。宜しく汝、清麻呂、相代りて往きて彼の神の命を聴けと。発するに臨みて、道鏡、清麻呂に語りて曰く。大神が使者を請ふ所以は、蓋し我れの即位の事を告げんが為なりと。因りて重く募るに官爵を以てす。清麻呂、行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が国家、開闢より以来、君臣定まりぬ。臣を以て君と為ることは、未だ之れ有らざる也。天の日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は、宜しく早く掃ひ除すべし。清麻呂帰り来て奏すること神の教の如し。是に於いて道鏡大いに怒りて、清麻呂が本官を解きて、出して因幡の員外介と爲す。未だ任所に之ざるに、尋て詔ありて、除名し大隅に配す。其の姉の法均も還俗せしめて備後に配す。
上記の前段の
『続日本紀』巻三十 神護景雲三年
詔曰。天皇御命詔。夫臣下云物君随浄貞明心以君助護奉。対無礼面無後謗言無く姦偽諂曲心無奉侍物在。然物従五位下因幡国員外介輔治能真人清麻呂其姉法均甚大悪姦妄語作朕対法均物奏。此見面色形口云言猶明己作云言大神御命借言所知。問求朕所念在如大神御命不在聞行定。故是以法退給詔御命衆諸聞食宣。復詔此事人奏在不在。唯言其理不在逆云。面無礼己事納用念在。是天地逆云此増無。然此諸聖等天神地祇現給悟給在。誰敢朕奏給猶人不奏在心中悪垢濁在人必天地現示給物。是以人人己心明清貞謹奉侍詔御命衆諸聞食宣。復此事知清麻呂等相謀人在所知在君慈以天下政行給物伊麻慈愍給免給。然行事重在人法収給物。如是状悟先清麻呂等同心一二事相謀人等心改明貞在心以奉侍詔御命衆諸聞食宣。復清麻呂等奉侍奴所念姓賜治給。今穢奴退給依賜姓取別部成給其名穢麻呂給法均名広虫売還給詔御命詔御命衆諸聞食宣。復明基広虫売身二在心在所知其名取給同退給詔御命衆諸聞食宣。
詔して曰く。天皇よりか御命よまし詔く。夫れ臣下と云う物は、君に随ひて、浄く貞かに明き心や以ちて、君を助け護り奉る。対ひては礼無き面もち無く、後には謗る言無く、姦しまな偽り、諂い曲れる心無くして奉へ侍るべき物に在り。然る物や、従五位下因幡国員外介輔治能真人清麻呂、其が姉法均と、甚大きに悪く姦める妄語や作りて、朕に対ひて法均に物奏せり。此れを見るに、面の色形、口に云ふ言猶ほ明かに、己が作て云ふ言に大神の御命と借りて言ふと所知や。問ひ求むるに、朕が所念して在るが如く、八幡大神の御命には在らずと聞行し定めつ。故れ、是を以て法のまにま退け給ふと詔ふ御命を衆諸聞こし食さへと宣る。復た詔く、此の事は、人の奏て在るにも在らず。唯だ言、其の理に在らず逆に云へり。面へりも礼無くして、己が事に納用ひよと念ひて在り。是れ天地の逆と云ふに、此れより増るは無し。然ち此れは、諸聖等、天神地祇の現し給ひ、悟し給ふにこそ在れ。誰か敢えて朕に奏し給わむ、猶ほ人は奏せずとも、心中悪しく垢なく濁りて在る人は必ず天地現し示し給ひつる物ぞ。是を以て、人人己が心を明らかに清く貞かに謹みて奉へ侍れと、詔ふ御命を衆諸聞し食へと宣る。復た此の事を知りて、清麻呂等と相ひ謀りけむ人在りとは所知して在れども、君は慈みを以て天下の政は行ひ給う物に、伊麻せばなも慈み愍み給ひて免し給ふ。然ある行事の重なり在む人をば法のまに収め給はむ物ぞ。如是の状悟りて先に清麻呂等と心同して一つ二つの事も相ひ謀りけむ人等は心改めて明かに貞に在る心を以て奉へ侍れと、詔ふ御命を衆諸聞こし食さへと宣る。復た、清麿等は、奉へ侍る奴と所念してこそ姓も賜ひて治め賜ひて給ひしか。今は穢き奴として退け給ふに依りてなも、賜へりし姓は取りて別部と成し給ひて、其が名は穢麻呂と給ひて、法均が名も広虫売と還し給ふと、詔ふ御命を衆諸聞こし食さへと宣る。復た、明基は、広虫売と身は二つに在れども心は一つに在りと知所してなも、其が名も取り給いて、同じく退け給ふと、詔ふ御命を衆諸聞こし食さへと宣る。
【
1月15日に
翌2月7日、
以上の混乱期を経て、
『八幡宇佐宮御託宣集』通巻十・大尾社部(下)
一。光仁天皇十年。宝亀十年己未。 神祇官以宝亀十年四月廿三日。下大宰府符偁。被太政官今月廿日符偁。大宰府解云。大御神託祢宜与曽売宣。吾礼前幾尓坐須留此菱形宮仁志手波。神乃名始天顕礼位封転高奈利。是以願住此旧宮処弖。着身冑鎧弖。奉守護朝廷及国家良牟者。右大臣宣。用神社祝。仰府令作者。云々府依符旨。自宝亀十一年庚申。至于天応元年辛酉。菱形旧宮改造之。
一。光仁天皇十年、宝亀十年己未。 神祇官、宝亀十年四月廿三日を以て、大宰府に符を下して偁く。太政官今月廿日の符を被るに偁く。大宰府の解に云く。大御神、祢宜与曽売に託けて宣く。吾前に坐する此の菱形宮にしては、神の名始て顕れ、位封転高きなり。是を以て、願はくば此の旧き宮に住みましまして、身に冑鎧を着て、朝廷及び国家を守護し奉らんてへり。右大臣宣ふ。神社の祝を用ひ、府に仰せて作らしむてへりと。府、符の旨に依つて、宝亀十一年庚申より、天応元年辛酉に至り、菱形の旧宮を改造す。
『八幡宇佐宮御託宣集』大巻十一・又小椋社部(上)
光仁天皇十年。宝亀十年己未。守託宣並官符之旨。大宰府。自同十一年庚申。至于同帝天応元年辛酉。菱形小椋山旧宮改造之。桓武天皇元年。延暦元年壬戌。自大尾社。如元奉崇移神躰。
光仁天皇十年、宝亀十年己未、託宣並に官符の旨を守り、大宰府、同十一年庚申より、同帝天応元年辛酉に至り、菱形小椋山の旧宮を改め造る。桓武天皇元年、延暦元年、壬戌、大尾社より元の如く、神躰を崇め移し奉る。