九州の神社

長崎県・須佐神社[穴妙見・岩屋宮](佐世保市)

由緒

主祭神しゅさいじん 須佐之男尊すさのおのみこと大国主命おおくにぬしのみこと事代主命ことしろぬしのみこと
合祀神ごうしがみ 奇稲田比売命くしなだひめのみこと須勢理比売命すせりびめのみこと
相殿神あいどのがみ 天之御中主神あめのみなかぬしのかみ天照皇大神あまてらすすめおおかみ高皇産霊神たかみむすびのかみ神皇産霊神かみむすびのかみ

由緒

平戸八景ひらどはっけいのひとつとして国指定名勝に指定されている須佐神社すさじんじゃ穴妙見あなみょうけん巌屋宮いわやぐう)は、創祀そうしは不詳ですが、明治初期までは半農半漁の一寒村であった佐世保市させぼしの中で最も古くから鎮座ちんざしていた神社ともされています。

御祭神ごさいじんとして9柱の神をまつっています。

正殿しょうでん

  • 須佐之男尊すさのおのみこと疫病えきびょうしずめる霊徳れいとくを持たれ、海上守護の神として信仰あつし。
  • 大国主命おおくにぬしのみこと:福徳円満、医療の祖神おやがみ。田畑を開き、国土建設の始祖しそ。別称「大黒だいこくさま」。
  • 事代主命ことしろぬしのみこと大国主命おおくにぬしのみこと御子みこ海神わだつみ。別称「恵美須えびすさま」。

合祀ごうし

  • 奇稲田比売命くしなだひめのみこと須佐之男尊すさのおのみこと妃神きさきがみ。愛情、結婚、縁結び、主の神。
  • 須勢理比売命すせりびめのみこと大国主命おおくにぬしのみこと妃神きさきがみ。愛情の神、和歌に長ぜらる。

相殿あいどの

  • 天之御中主神あめのみなかぬしのかみ天津神あまつがみ造化ぞうかの神。
  • 天照皇大神あまてらすすめおおかみ皇室こうしつ始祖神しそがみ。同時に吾国民の総祖先神そうそせんがみ神徳しんとく広大にして、国家の基礎を定め、経営発展の教訓を垂れられた。
  • 高皇産霊神たかみむすびのかみ天津神あまつがみ造化ぞうかの神。
  • 神皇産霊神かみむすびのかみ天津神あまつがみ造化ぞうかの神。

本殿ほんでんまつられている神域しんいき海食洞かいしょくどうは、幅約5.5m、深さ約10.8m。洞奥は昼でも暗く、伊万里いまりまで続いているとの伝説もあり、夏の猛暑でも冷涼な空気が流れます。戦国時代には信仰の地とされており、慶長けいちょう元年(1596)5月18日、松浦氏まつらし25代・松浦隆信まつらたかのぶからの寄進きしんを記録する「妙見宮みょうけんぐう」の石碑せきひが残されています。境内けいだいには、松浦氏まつらし26代・平戸藩ひらどはん初代藩主はんしゅ松浦鎮信まつらしげのぶ慶長けいちょうの役からの凱旋を祝って奉納ほうのうした鳥居とりい御神木ごしんぼくも残されています。

弘化こうか4年(1847)平戸藩ひらどはん第10代藩主はんしゅ松浦熈まつらひろむが領地内の名勝・奇勝地を選び「平戸領地方八竒勝ひらどりょうぢかたはっきしょう平戸八景ひらどはっけい)」と名付けます。潮之目しおのめ福石山ふくいしやま羅漢窟らかんくつ)、巌屋宮いわやぐう穴妙見あなみょうけん)、眼鏡岩めがねいわ石橋いしばし御橋観音おはしかんのん)、潜龍水せんりゅうすい潜龍せんりゅうたき)、大悲観だいひかん高巌たかいわ高岩たかいわ)の8ヶ所からなり、松浦熈まつらひろむは京都の絵師・澤渡廣繁さわたりひろしげ精齋せいさい)に作画を命じ、嘉永かえい元年(1848)に解説を付して『平戸領地方八竒勝図ひらどりょうぢかたはっきしょうず』を完成・刊行させました。須佐神社すさじんじゃは、その中の巌屋宮いわやぐう穴妙見あなみょうけん)になり、澤渡廣繁さわたりひろしげは次の漢詩も残しています。

垂跡儼然洞窟邊
雲愇薜帳自聯纏
森森林樾無人語
爽籟時時奏管絃

平戸領地方八竒勝ひらどりょうぢかたはっきしょう平戸八景ひらどはっけい)は、平成27年(2015)3月10日に潜龍水せんりゅうすい大悲観だいひかん福石山ふくいしやまを、平成28年(2016)10月3日に巌屋宮いわやぐうを含む残りの8ヶ所が国指定名勝に選定されました。

鎮座地ちんざちは、昭和20年(1945)6月29日の佐世保大空襲させぼだいくうしゅうの被害の多かった地域で、多数の方々が無くなった須佐すさトンネル(不老洞)の近くでもあります。戦後、空襲で家を失った人々が住み着いたため、侵入者を防ぐためと参拝者さんぱいしゃの利便を兼ねて、昭和30年(1955年)頃に洞窟を塞ぐように拝殿はいでん建立こんりゅうされました。


境内社けいだいしゃなど】

水神すいじん白髭大明神しらひげだいみょうじん

社殿しゃでん向かって左。一番社殿しゃでん寄りのほこらの中に石碑せきひまつられています。御祭神ごさいじんは水の神様である水波能売命みずはめのみこと雷神いかずちのかみ、並びに雨の神様である鳴雷命なるいかずちのみこと、井戸の神様である美井命みいのみことまつっています。

金比羅社こんぴらしゃ

社殿しゃでん向かって左。社殿しゃでんから2番目にまつられています。御祭神ごさいじんとして大物主命おおものぬしのみことまつっています。海上安全・大漁祈願の御神徳ごしんとくがあるとされています。

稲荷神社いなりじんじゃ大神宮だいじんぐう八幡大菩薩はちまんだいぼさつ春日大明神かすがだいみょうじん

社殿しゃでん向かって左。赤い鳥居とりいのある一角に鎮座ちんざ宇迦之御魂大神うかのみたまのおおかみまつ稲荷神社いなりじんじゃは、五穀豊穣・商売繁盛の御神徳ごしんとくがあるとされています。稲荷神社いなりじんじゃの向かって左手には、大神宮だいじんぐう八幡大菩薩はちまんだいぼさつ春日大明神かすがだいみょうじん猿田彦神さるたひこのかみ石祠いしほこら石碑せきひが並んでいます。

高天宮こうてんぐう

社殿しゃでん向かって一番左手を少し登って奥に鎮座ちんざ。昭和36年(1961)に高天町こうてんちょうから遷座せんざしました。御祭神ごさいじん天之御中主神あめのみなかぬしのかみ造化三神ぞうかのさんしんの一柱、星の神様、長寿・開運招福・安産の御神徳ごしんとくがあるとされています。

御神木ごしんぼくまき)の由来」

このまきの木は慶長けいちょう元年(1596)平戸藩主ひらどはんしゅ松浦肥前守まつらひぜんのかみ松浦隆信まつらたかのぶ豊臣秀吉とよとみひでよし、朝鮮に軍を起こすや兵船を編成し子の松浦鎮信まつらしげのぶ、孫の松浦久信まつらひさのぶに指揮せしめて大いに勇名をはせたり。戦い終わりて慶長けいちょう2年(1597)8月、松浦隆信まつらたかのぶが当社に戦勝奉告せんしょうほうこく参拝さんぱいをし記念にこの木を手植せり。去る佐世保大空襲させぼだいくうしゅうにも焼失せず。亭々ていていとしてその勇姿を残しそびえ立っている。樹齢およそ400年と伝えられている。[※現地案内板]

Photo・写真

  • 一之鳥居
  • 一之鳥居
  • 二之鳥居
  • 参道から
  • 参道から
  • 参道から
  • 参道から
  • 参道から
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 本殿が祀られている海食洞
  • 本殿が祀られている海食洞
  • 本殿が祀られている海食洞
  • 水神・白髭大明神
  • 金比羅社
  • 稲荷神社
  • 神宮・八幡大菩薩・春日大明神
  • 高天宮

情報

住所〒857-0811
佐世保市させぼし高梨町たかなしちょう1−9
創始そうし不詳、慶長けいちょう元年(1596)以前
社格しゃかく無格社むかくしゃ [旧社格]
例祭れいさい7月25日
HP 文化遺産オンライン / Wikipedia

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