九州の神社

健軍神社(熊本市)

御祭神

主祭神しゅさいじん健軍大神けんぐんのおおかみ健緒組命たけおぐみのみこと)・健磐龍命たけいわたつのみこと
配祀神はいしがみ神渟名川耳命かんぬなかわみみのみこと阿蘇都比売命あそつひめのみこと草部吉見神くさかべよしみのかみ比咩御子神ひめみこのかみ彦御子神ひこみこのかみ若比咩神わかひめのかみ新彦神にいひこのかみ新比咩神にいひめのかみ若彦神わかひこのかみ国造速瓶玉命くにのみやつこはやみかたまのみこと弥比咩神やひめのかみ

由緒

健軍神社けんぐんじんじゃは、阿蘇神社あそじんじゃ阿蘇市あそし)、甲佐神社こうさじんじゃ郡浦神社こうのうらじんじゃと共にまつられる阿蘇四摂社あそよんせっしゃのひとつで、熊本市くまもとし内で最も古い神社です。古くは「健軍社たけみやのやしろ」と称されますが、昭和以降、「健軍社けんぐんしゃ」と音読されるようになりました。

阿蘇神社あそじんじゃ神事しんじ祭祀さいし執行しっこうの折々に、飽田あきた国府こくふ(熊本市くまもとし二本木にほんぎ付近)から当地を経て、阿蘇あそ参詣さんけいしていた肥後ひご国司くにつかさ藤原法昌ふじわらのまさのりが、欽明天皇きんめいてんのう19年(558)12月13日、大雪により当地(北原)にて道がふさがれます。進退にきわまり、しい樹下じゅか野陣のじんを張り、天候の回復を待つのと共に、阿蘇大神あそのおおかみ遙拝ようはいし、当地に阿蘇大神あそのおおかみ勧請かんじょうすれば、老人や病弱者、また子供、達の参詣さんけいろうを救い、いつでも参拝さんぱいできるのだがと心底しんそこ祈念きねんします。

すると、明け方前の五更ごこう(午前3時~6時)の頃に、三歳ぐらいの童子どうじ忽然こつぜんとして石上せきじょうに現れ、「なんじ阿蘇大神あそのおおかみ尊信そんしん二心にしんなく厳寒げんかん積雪せきせついとはず此に来たりあまるに衆人しゅうじん遠路えんろろうあわれみ大神おおかみを此の地に勧請かんじょうせんと願う神明しんめいなん感応かんのうせさらんやよろしく此処ここ勧請かんじょうすべし、しかるに阿蘇宮あそのみや皇城こうじょう鎮護ちんごの為東に向かい当社は夷賊いぞく新羅しらぎ鎮退ちんたいの為西に向かい健軍たけみやごうすべしなんじたく吾則われすなわち阿蘇大神あそのおおかみなり」と国司くにつかさって去ります。驚き感じた国司くにつかさは、見聞けんぶんって、ただちに社宇しゃう造建ぞうけんして、阿蘇大神あそのおおかみ荒霊あらみたま鎮祭ちんさいし、健軍社たけみやのやしろごうしたと文化ぶんか4年(1807)の古文書に創建譚そうけんたんが記されています。また、そのことから健軍神社けんぐんじんじゃは西の外敵から国をまもるため西を向き、朝廷を守る阿蘇神社あそじんじゃ社殿しゃでんは東を向いているとされています。

石上せきじょうに現れた童子どうじの出現の石は、楼門ろうもんの60m西側右傍に鎮座ちんざし、石立大神いわたてのおおかみと申し伝えまつられており、一説では景行天皇けいこうてんのう御腰掛おこしかけの石ともされています。また、一本の杉が産まれ出でて、その杉の下に浮紋うきもんの絹に包まれたわらべ降誕こうたんします。木の下にあったことから木の姓を賜り、国司くにつかさに拾い上げられた時刻を「今、丑満時うしみつどき」と申したことから、うじ今丑いまうしと定め、養育の後、官位かんい五位ごいじょせられ祝太夫いわいだいふと名乗り、阿蘇あそ二十六代当主とうしゅ友成ともなりより、実名の一字を下して「成種なりたね」とごうし、今丑家いまうしけの初代宮司ぐうじとなります。現在、代々続いた今丑家いまうしけは第62代に至っています。

また健軍神社けんぐんじんじゃは、承平じょうへい年中ねんちゅう肥後守ひごのかみ保昌やすまさ修宮殿しゅうぐうでんとも称され、健緒組命たけおくみのみこと鎮祭ちんさいすると伝えられています。健緒組命たけおくみのみことは、景行天皇けいこうてんのう(71-130)の御代みよ、当神社より東南にある益城郡ましきぐん朝来那山ちょうらいなさん(現在の朝来山ちょうらいさん)のぞくたまいたるめいにして御功みさおしも有ったことからまつったとされています。健緒組命たけおくみのみことは、阿蘇大神あそのおおかみ五世の孫とも、叔父おじに当るともされています。

境内の西、熊本市くまもとし電(神水くわみず1丁目)の大鳥居おおとりいから続く10町40間(1230m)の参道さんどうは、八丁馬場はっちょうばばと呼ばれ、元々この参道さんどう加藤清正かとうきよまさが馬の調練路ちょうれんじとして造り、後に奉納ほうのうしたものです。その当時、植樹された樹齢400年の杉並木、並木の一部が残っています。江戸時代の明和めいわ年間(1764-1772)には300本もあったとされています。

平成12年(2000)に建立こんりゅうされた楼門ろうもんは、高さ13.5mで横15.7m。楼門ろうもんの前の鳥居とりいは、楼門ろうもんが良く見えるようにとのことで低く抑えられています。

尚、明治10年(1877)2月22日、西南戦争で、薩軍さつぐんを救援するため結成された熊本隊の挙兵の地でもあります。

拝殿はいでんは昭和59年(1984)の建立こんりゅうです。昭和35年(1960)の建立こんりゅう本殿ほんでん流造ながれづくりです。

社殿しゃでんの向かって左手には末社まっしゃが並びます。手前から、雨宮神社あめみやじんじゃ。そして五社並んで、美和神社みわじんじゃ国造神社こくぞうじんじゃ日吉神社ひよしじんじゃ天社神社あめのやしろじんじゃ矢城神社やしろじんじゃ鎮座ちんざします。

雨宮神社あめみやじんじゃ御祭神ごさいじんは、雨宮大神あめみやのおおかみで、例祭れいさいは9月29日です。寛和かんな年中ねんちゅう(985-987)に大早魃に見舞われた際、健軍村たけみやむら(熊本市くまもとし中央区神水くわみず)に三つの島があり、その中の松島まつしま川中かわなかに雨の気配を感じれば水中より浮き出てまた晴れならば水中に沈む、形も色も尋常ではないひとつの霊石れいせきがありました。その霊石れいせきまつれば雨が降るとの神託しんたくにより雨宮大神あめみやのおおかみとして鎮祭ちんさいし、不浄を禁止し、神水かみずと称しました。いつとなくに神水かみず神水くわみずと変わり村名になったとされています。その後 健軍神社けんぐんじんじゃ境内に遷座せんざし、慶長けいちょう年中ねんちゅう(1596-1615)の早魃の時には、加藤清正かとうきよまさが自ら素足にてけいし、「我が国に 雨の宮とも あがめしを みかきの内の 草かるるとは」と祈雨歌きうかみ、神前しんぜんたてまつたまわると降雨があったと伝えられています。

美和神社みわじんじゃ御祭神ごさいじんは、大物主大神おおものぬしのおおかみ三穂津姫命みほつひめのみこと事代主命ことよりぬしのみこと猿田彦大神さるたひこのおおかみで、例祭れいさいは3月15日です。景行天皇けいこうてんのう(71-130)の御代みよ大和国やまとのくににて水疱瘡みずぼうそうが流行したことからも病気平癒びょうきへいゆの神として大物主大神おおものぬしのおおかみまつります。同様に水疱瘡みずぼうそうが流行した肥後国ひごのくにでもまつられるようになったとされ、病気平癒びょうきへいゆ祈願きがんをするとき、美和神社みわじんじゃ大前おおまえ疱瘡ほうそうだご(疱瘡ほうそうに似ただんごのこと)をお供えし、美和神社みわじんじゃ前にまつられている疱瘡ほうそうに似た疱瘡石ほうそういしを撫でて祈願きがんしていました。

「こくぞうさん」との愛称で親しまれている国造神社こくぞうじんじゃ御祭神ごさいじんは、速瓶玉命はやみかたまのみこと由緒ゆいしょの詳細は不明ですが、健軍神社けんぐんじんじゃの約300メートルの南に創建そうけんされた神社です。熊本市くまもとし電建設の時に、遷座せんざされました。

山王さんのうさんとの通称で親しまれている日吉神社ひよしじんじゃ御祭神ごさいじんは、大山咩命おおやまくいのみこと若山咩命わかやまくいのみことで、例祭れいさいは11月15日。火の神として、火除けの宮として崇敬すうけいされ、健軍神社けんぐんじんじゃの入口より南西方面約100メートルの処に創建そうけんされた神社です。昭和45年(1970)に現在地に遷座せんざされました。

不動ふどうさん、おぶとさんとの愛称で親しまれている天社神社あめのやしろじんじゃ御祭神ごさいじんは、天社大神あめのやしろのおおかみで、例祭れいさいは3月21日。昔は子供相撲が奉納ほうのうされていました。

天社神社あめのやしろじんじゃは、健軍神社けんぐんじんじゃ東北約300メートルの高台に創建そうけんされた神社で、昭和54年(1979)に現在地に遷座せんざされました。

矢城神社やしろじんじゃ御祭神ごさいじんは、矢城山やしろさん山神やまがみ稲荷大明神いなりだいみょうじん青龍龍神せいりゅうりゅうじんです。

手水舎てみずやの奥には、戦没者慰霊塔せんぼつしゃいれいとう鎮斎ちんさいされています。

Photo・写真

  • 八丁馬場参道から楼門
  • 楼門
  • 楼門
  • 楼門
  • 楼門
  • 楼門
  • 石立大神
  • 猿田彦碑
  • 社殿
  • 社殿
  • 社殿
  • 本殿
  • 本殿
  • 社殿の向かって左手の末社
  • 雨宮神社
  • 雨宮神社
  • 雨宮神社
  • 美和神社
  • 美和神社
  • 国造神社
  • 天社神社
  • 日吉神社
  • 矢城神社
  • 戦没者慰霊塔

情報

住所〒862-0910
熊本県熊本市くまもとし東区ひがしく健軍本町けんぐんほんまち13-1
創始そうし欽明天皇きんめいてんのう18年(557)
社格しゃかく郷社ごうしゃ [旧社格]
例祭8月7日
HPWikipedia

地図・マップ