九州の神社

福岡県・宮地嶽神社(福津市)

御祭神

主祭神しゅさいじん 息長足比売命おきながたらしひめのみこと [神功皇后じんぐうこうごう]
相殿神あいどのがみ 勝村大神かつむらのおおかみ [藤之高麿ふじのたかまろ]、勝頼大神かつよりのおおかみ [藤之助麿ふじのすけまろ]
※以上三柱みはしらの神を宮地嶽みやじだけ三柱大神みはしらおおかみとしてまつ

由緒

宮地嶽みやじだけ山腹さんぷくに位置する宮地嶽神社みやじだけじんじゃは、全国に鎮座ちんざする宮地嶽神社みやじだけじんじゃ総本宮そうほんぐうです。仲哀天皇ちゅうあいてんのうの后で応神天皇おうじんてんのう母君ははぎみにあたる息長足比売命おきながたらしひめのみこと神功皇后じんぐうこうごう)を主祭神しゅさいじんに、勝村大神かつむらのおおかみ勝頼大神かつよりのおおかみ配祀神はいしがみとし、その三柱みはしらの神を宮地嶽みやじだけ三柱大神みはしらおおかみとしてまつっています。その御加護ごかごのもとで事に当たれば、どのような願いもかなう「何事にも打ち勝つ開運の神」として、商売繁昌しょうばいはんじょう家内安全かないあんぜんの守り神として多くの方に信仰しんこうされるようになりました。

創建そうけん不詳ふしょうですが、口碑こうひ社伝しゃでん等によれば息長足比売命おきながたらしひめのみこと神功皇后じんぐうこうごう)は、仲哀天皇ちゅうあいてんのう9年(200)の三韓進攻さんかんしんこうの前にこの地に滞在し、宮地嶽みやじだけ山頂より大海原おおうなばらのぞみて祭壇さいだんを設け、天神地祇てんしんちぎまつり「天命てんめいほうじてかの地に渡らん。希はくば開運を垂れ給え」と祈願きがんの上、船出されたと伝えられています。そして御帰還ごきかん後、この「宮地嶽みやじだけ」の山頂にほこらを建て、恭しく天津神あまつかみ御奉祀ごほうしし、今も宮地嶽みやじだけ山頂には宮地嶽古宮みやじだけふるみやほこら、日の出参拝所さんぱいしょがあります。勝村大神かつむらのおおかみ勝頼大神かつよりのおおかみは、その三韓進攻さんかんしんこう随従ずいじゅうして常に先頭に立ち勝鬨かちどきを挙げた神で、この「宮地嶽みやじだけ」の山頂にほこら祠掌ししょうを命ぜられ当地を領したと伝えられています。その後、本社は息長足比売命おきながたらしひめのみこと神功皇后じんぐうこうごう)の御偉業を称えて主祭神しゅさいじんまつり、御功神ごこうしん勝村大神かつむらのおおかみ勝頼大神かつよりのおおかみの両神を併せてまつり、宮地嶽みやじだけ三柱大神みはしらおおかみとしてあがめたとされています。

宗像大社むなかたたいしゃの鎌倉期の年中行事ねんじゅうぎょうじを記す『正平しょうへい二十三年(1368)宗像宮むなかたぐう年中行事ねんじゅうぎょうじ』には、当社の12月20日の年中行事ふゆまつり嶽祭たけまつり)のことが見えており、75末社まっしゃくだりには宮地嶽社みやじだけしゃ勝村大明神社かつむらだいみょうじんしゃが並んで見えて、神事しんじに関する詳細なる記事が出ています。宗像むなかた大宮司家だいぐうじけより奉献ほうけんされた祭桑田さいそうでん御供田ごくでん九拝田くはいでん等の名称を残す神田じんでが、今なお付近に残っていることから、すでに500~600年前から相当盛大なる御社おやしろであったと想像されます。

境内けいだいには、寛保かんぽう元年(1741)で突然の山崩れで出土した、日本最大級の大きさを誇る横穴式よこあなしき石室せきしつを有する巨石古墳が有ります。この古墳は7世紀前半~中頃の築造ちくぞうと推定され、地下の正倉院しょうそういんと称されています。その石室せきしつは、全長23m、高さ幅ともに5mを超え、渡半島わたりはんとう礫岩れきがんを立方体に切り取った巨石が積み重ねられています。特大大刀とくだいたち刀装具とうそうぐ馬具ばぐ類、緑に輝く瑠璃壺るりつぼ瑠璃玉るりたま、そして瑠璃板るりいたなど、およそ300点が発見され、そのうちの20点もの品々が昭和36年(1961)国宝に指定されました。金銅装こんどうそう透彫冠すかしぼりかんは精巧な龍や虎の透かし彫りが施され、歩揺ほようがついた跡が残っています。金銅装頭椎大刀こんどうそうかぶつちのたちは全長2mにも及ぶ全国最大級の大刀たちで、頭椎かぶつちがつき、金の装飾が施されています。さらに金銅製のあぶみ(足置き用の馬具ばぐ)は、七葉ななは唐草文からくさもん貼付ちょうふされ、遠くオリエントからの影響を見ることができます。このことから宮地嶽古墳みやじだけこふんは、当時この一帯を治めた埋葬者まいそうしゃの絶大な威勢いせいを示して余りあるものとされています。この宮地嶽古墳みやじだけこふんは平成17年(2005)3月2日に国指定史跡に指定されました。

このまれなる黄金おうごんの出土品や、この地に伝わる伝承でんしょうから、古来より宮地嶽みやじだけまつられる神は、崇高すうこうかつ有福ゆうふくな神としてしたしまれていました。そして、時代の変遷へんせんとともに開運の神、商売繁昌しょうばいはんじょうの神としてあがめられるようになっていきました。宮地嶽神社みやじだけじんじゃには日本一の大注連縄おおしめなわ大太鼓おおだいこ大鈴おおすずがありますが、これらもまた、この日本一の聖なる力にあやかろうとする信仰しんこうから奉納ほうのうされものです。

明治5年(1872)11月3日村社そんしゃ列格れっかく。明治10年(1877)9月3日夜に社殿しゃでん焼失しますが、同13年(1880)5月本殿ほんでん幣殿へいでんを新営。同15年(1882)7月宗像神社むなかたじんじゃ摂社せっしゃとなり、同32年(1899)4月27日には県社けんしゃ昇格しょうかくしました。大正7年(1918)2月、境内けいだいを拡張する設計・改築の出願をし、10月認可。大正11年(1922)12月に宮地嶽みやじだけの整地を終えると共に、建築用材として台湾阿里山ありさんひのき40万才、宗像郡むなかたぐん孔大寺山こだいしやま老杉ろうさん20万才、徳山産とくやまさん花崗岩かこうがん18万6千才が用いられて建築に着手。現在の神殿しんでん幣殿へいでん拝殿はいでん透塀すきべい神楽殿かぐらでん祓殿はらいでん神饌所しんせんしょ楼門ろうもん社務所しゃむしょ、南北廻廊かいろう、南門、開運殿かいうんでんが10ヶ年延25万人の作業員を要して新築され、昭和5年(1930)10月22日に御遷座ごせんざになりました。平成22年(2010)には御遷座ごせんざ80年の節目に北部九州王朝の聖地として栄えたこの地に相応ふさわしく、宮地嶽みやじだけの古墳の主が黄金おうごん宝冠ほうかんを頭上に掲げていたようにゴールドチタン製の黄金おうごんの屋根に生まれ変わっています。


境内社けいだいしゃなど】

大注連縄

大注連縄おおしめなわ

直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンの日本一の大注連縄おおしめなわは、宮地嶽神社みやじだけじんじゃのシンボルです。毎年掛け替えられ約2反の御神田ごしんでんに、昔ながらの稲を生育させ、丹精たんせい込めたわらにて作られています。稲の発芽から注連縄しめなわの掛け替えまで、全て当社にゆかりの深い方々による奉納ほうのうで、掛け替えまでには、延べ1500人もの方々による奉仕ほうしを頂いています。

大太鼓おおだいこ

直径2.2メートルの日本一の純国産大太鼓おおだいこです。全て国内より調達した材料により製作されています。太鼓たいこどうひのき原木げんぼくとし、その表面に漆を幾重いくえにも重ねて音の響きを大切に致しております。その上、左右の鼓面こめんには和牛の皮を太鼓用になめしたもので、今日の国産和牛では入手できないサイズの皮で調製されています。例年、1月1日午前零時に大太鼓おおだいこは打ち鳴らされ、その音は境内けいだいから数キロ離れた所にも響きます。

大鈴おおすず

重さは450kgもある銅製の大鈴おおすずで、篤信とくしんの方のご奉納ほうのうによるものです。昭和35年(1960)迄は大注連縄おおしめなわと共に拝殿はいでんに飾られご参拝さんぱいの方々が驚かれていましたが、その重量の為、鈴堂すずどう建立こんりゅうして大太鼓おおだいこと共に奉安ほうあんされています。

光の道

ひかりみち

神社正面の男坂おとこざかの上から、9月の秋季大祭しゅうきたいさい御旅所おたびしょとなる宮地浜みやじはままで至り相島あいのしまを望む西向きの参道さんどうは約800mに渡る直線道路です。この延長線上に日没する2月24日の後数日、10月18日の前数日は、夕日が参道さんどうの延長線上に残り、夕日と参道さんどうが一直線に並ぶ光景は「ひかりみち」と称されています。この時期に「夕日のまつり」が開催されています。

須賀神社すがじんじゃ

社殿しゃでん向かって右手、奥之宮おくのみや八社はっしゃ参道さんどうの入り口前に鎮座ちんざ素盞嗚尊すさのおのみことまつっています。

六社神社ろくしゃじんじゃ

社殿しゃでん向かって左手奥に鎮座ちんざ宗像神社むなかたじんじゃ宗像三女神むなかたさんじょしん)、五穀神ごこくのかみ社(保食神うけもちのかみ)、海積神社わたつみじんじゃ和多津見神わたつみのかみ)、愛宕神社あたごじんじゃ加具槌神かぐつちのかみ)、龗神社おかみじんじゃ高龗神たかおかみのかみ闇龗神くらおかみのかみ少童神わたつみのかみ)、菅原神社すがわらじんじゃ菅原道真公すがわらのみちざねこう)を合祀ごうししてまつっています。

御神水ごしんすい

六社神社ろくしゃじんじゃの手前の御神水ごしんすいは、宮地嶽みやじだけから湧き出た霊水れいすいです。

奥之宮八社の参道

奥之宮おくのみや八社はっしゃ

宮地嶽神社みやじだけじんじゃには、神功皇后じんぐうこうごう主祭神しゅさいじんとし、勝村大神かつむらのおおかみ勝頼大神かつよりのおおかみ配祀はいしする御本殿ごほんでんの他に「奥之宮おくのみや八社はっしゃ」と呼ばれるやしろまつられています。「一社一社をお参りすれば大願たいがんがかなう」と信仰しんこうされ、昔から多くの人が訪れています。奥之宮おくのみや八社はっしゃ巡りの信仰しんこうは日本最大級の石室せきしつ古墳の発見を機に不動神社ふどうじんじゃ奉祀ほうしされたことから盛んになりました。

一番社いちばんしゃ七福神社しちふくじんじゃ

福徳ふくとくを授けてくれる神様として信仰しんこうされる七福神しちふくじん恵比寿えびす大黒天だいこくてん毘沙門天びしゃもんてん弁財天べんざいてん福禄寿ふくろくじゅ寿老人じゅろうじん布袋ほてい)がまつられています。奥之宮おくのみや参道さんどうを登り、ボタン園を過ぎ、大塚稲荷神社おおつかいなりじんじゃの手前右手に鎮座ちんざしています。

二番社・大塚稲荷神社

二番社にばんしゃ大塚稲荷神社おおつかいなりじんじゃ

食物とお米の豊作を守る豊受姫神とようけひめのかみまつっています。稲の豊かな実りを守る神様から転じて商売繁昌しょうばいはんじょうをお願いする神様です。五穀豊穣ごこくほうじょう腕前上達うでまえじょうたつ商売繁昌しょうばいはんじょう御神徳ごしんとくがあり、農家のみなさんはもちろん、飲食店、調理人の方からの崇敬すうけいを集めています。2月の初午はつうまの日には、招福しょうふくだんごまつりと称される初午大祭はつうまたいさい斎行さいこうされています。2月の最初のうまの日に総本社そうほんしゃ伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃ稲荷山いなりやま御鎮座ごちんざされたことが由縁ゆえんとされています。「招福しょうふく三色さんしょくだんご」をお振る舞い致しております。三色さんしょくの団子にはそれぞれに家内安全かないあんぜん商売繁昌しょうばいはんじょう五穀豊穣ごこくほうじょうの意味が込められています。

三番社・不動神社

三番社さんばんしゃ不動神社ふどうじんじゃ

宮地嶽神社みやじだけじんじゃ奥之宮おくのみやである不動神社ふどうじんじゃは、巨石を使った横穴式よこあなしき石室せきしつの中に霊験れいげんあらたかなる「お不動様ふどうさま不動明王ふどうみょうおう)」をおまつりしています。寛保かんぽう元年(1741)で突然の山崩れで石室せきしつあらわれ、延享えんきょう4年(1747)に石室せきしつの奥に不動尊ふどうそんまつり、穴不動あなふどうと称されていました。この古墳は地下の正倉院しょうそういんと呼ばれ、発見された出土物しゅつどぶつのうち20点が国宝に指定を受けています。春季大祭しゅんきたいさいが2月28日。夏季大祭かきたいさいが7月28日。日本最大級の横穴式よこあなしき石室せきしつに鎮まります不動明王ふどうみょうおう御神徳ごしんとくに感謝する祭典さいてんです。春季大祭しゅんきたいさいは、ぜんざい祭とも称され、日本一の金銀大釜きんぎんおおかまで作られる「ぜんざい」を召し上がることにより、不動明王ふどうみょうおう様は、「善哉・善哉(よきかな・よきかな)」と言って、皆様の願いを聞いて下さるとされています。春季大祭しゅんきたいさい夏季大祭かきたいさい、1月28日の初不動祭はつふどうさい考養くようロウソク神事しんじ)の年3回、石室せきしつ奥での一般参拝さんぱいができます。

四番社よんばんしゃ万地蔵尊まんじぞうそん

子供達の守り神。お地蔵様じぞうさまは子供達の守り神で、宮地嶽みやじだけのお地蔵様じぞうさま万地蔵まんじぞうさまと呼ばれています。子供の願い事は何でも(万・ヨロズ)聞いていただけます。8月15日に万地蔵尊まんじぞうそん夏祭なつまつり斎行さいこうされます。

五番社ごばんしゃこいみや

女性の体をお守りする淡島様あわしまさまと、心をお守りする濡髪様ぬれがみさまと、共に女性の心身内外をお守りすることから「こいみや」と呼ばれ、多くの方々に参拝さんぱい頂いています。特に女性特有の体の病や恋愛に霊験れいげんあらたかで、おやしろの脇に鎮座ちんざまします陰陽石いんようせき等、名実めいじつ共にこいみや相応ふさわしいおやしろです。

六番社ろくばんしゃ三宝荒神さんぽうこうじん

かまど火除ひよけの神様がまつられ、祈願きがん線香せんこうを供えてお参りします。荒々しい火の神様で、火をコントロールする霊力れいりょくがあります。昔は、かまどの火で煮炊きをしていたことから、かまどの守り神、台所や食べ物・調理の神様として信仰しんこうされています。また「三宝さんぽう」とは人々の生活の根幹こんかんを成す水・食物を生育させる土・調理する火の、水土火とも言われています。祈願きがん線香せんこうをお供えしてお参りします。

七番社ななばんしゃ水神社すいじんしゃ

万物の源、水をつかさど水波能売命みづはめのみこと龍神様りゅうじんさまとしてまつっています。宮地嶽みやちだけ周辺には大河がありませんが、水神社すいじんしゃ龍神様りゅうじんさま御神力ごしんりきで水枯れもする事無く水がコンコンと湧き出ています。参拝さんぱいすると無病息災むびょうそくさい延命長寿えんめいちょうじゅ・豊漁・豊作が得られると言われています。例祭日れいさいびは7月28日。

八番社はちばんしゃ薬師神社やくしじんじゃ

あらゆる病難びょうなんから救う神様として大己貴命おおなむちのみこと少彦名命すくなひこなのみことまつっています。修験者しゅげんしゃ宮地嶽みやちだけの山中にて修行しゅぎょうを行う際に、病気や怪我が無いようにとお薬師様やくしさまをおまつりしたのが始まりとされています。病に苦しむ人々の信仰しんこうが強い神社です。病気平癒びょうきへいゆ祈願きがんの依頼書を御神前ごしんぜんにお供えになられたり、護符ごふ(お札)や 和漢薬草わかんやくそう等求められる方も沢山参拝さんぱいされています。例祭日れいさいびは5月3日。

Photo・写真

  • 石鳥居
  • 石鳥居から宮地山
  • 石鳥居
  • 手水舎
  • 神門
  • 社殿と宮地山
  • 社殿
  • 大注連縄
  • 本殿
  • 六社神社
  • 御神水
  • 須賀神社
  • 奥之宮八社の鳥居
  • 奥之宮八社の参道
  • 奥之宮八社の参道
  • 一番社・七福神社
  • 二番社・大塚稲荷神社
  • 不動神社への参道
  • 不動神社への参道
  • 不動神社への参道
  • 不動神社への参道
  • 不動神社への参道
  • 三番社・不動神社
  • 三番社・不動神社
  • 四番社・万地蔵尊
  • 五番社・恋の宮
  • 陰陽石
  • 六番社・三宝荒神
  • 七番社・水神社
  • 八番社・薬師神社
  • 光の道
  • 光の道

情報

住所〒811-3309
福津市ふくつし宮司元町みやじもとまち7-1
創始そうし不詳ふしょう三韓進攻さんかんしんこうから凱旋した仲哀天皇ちゅうあいてんのう9年(200)か
社格しゃかく県社けんしゃ [旧社格きゅうしゃかく]、別表神社べっぴょうじんじゃ
例祭4月4日~6日
9月21日~23日(御神幸祭ごしんこうさい
神事しんじ朔日参さくじつまいり(毎月1日深夜0時)
HP公式HP / Wikipedia

地図・マップ