平戸八景のひとつとして国指定名勝に指定されている須佐神社(穴妙見・巌屋宮)は、創祀は不詳ですが、明治初期までは半農半漁の一寒村であった佐世保市の中で最も古くから鎮座していた神社ともされています。
御祭神として9柱の神を祀っています。
「正殿」
- 須佐之男尊:疫病を鎮める霊徳を持たれ、海上守護の神として信仰篤し。
- 大国主命:福徳円満、医療の祖神。田畑を開き、国土建設の始祖。別称「大黒さま」。
- 事代主命:大国主命の御子の海神。別称「恵美須さま」。
「合祀」
- 奇稲田比売命:須佐之男尊の妃神。愛情、結婚、縁結び、主の神。
- 須勢理比売命:大国主命の妃神。愛情の神、和歌に長ぜらる。
「相殿」
- 天之御中主神:天津神・造化の神。
- 天照皇大神:皇室の始祖神。同時に吾国民の総祖先神。神徳広大にして、国家の基礎を定め、経営発展の教訓を垂れられた。
- 高皇産霊神:天津神・造化の神。
- 神皇産霊神:天津神・造化の神。
本殿が祀られている神域の海食洞は、幅約5.5m、深さ約10.8m。洞奥は昼でも暗く、伊万里まで続いているとの伝説もあり、夏の猛暑でも冷涼な空気が流れます。戦国時代には信仰の地とされており、慶長元年(1596)5月18日、松浦氏25代・松浦隆信からの寄進を記録する「妙見宮」の石碑が残されています。境内には、松浦氏26代・平戸藩初代藩主の松浦鎮信が慶長の役からの凱旋を祝って奉納した鳥居、御神木も残されています。
弘化4年(1847)平戸藩第10代藩主・松浦熈が領地内の名勝・奇勝地を選び「平戸領地方八竒勝(平戸八景)」と名付けます。潮之目、福石山(羅漢窟)、巌屋宮(穴妙見)、眼鏡岩、石橋(御橋観音)、潜龍水(潜龍の滝)、大悲観、高巌(高岩)の8ヶ所からなり、松浦熈は京都の絵師・澤渡廣繁(精齋)に作画を命じ、嘉永元年(1848)に解説を付して『平戸領地方八竒勝図』を完成・刊行させました。須佐神社は、その中の巌屋宮(穴妙見)になり、澤渡廣繁は次の漢詩も残しています。
垂跡儼然洞窟邊
雲愇薜帳自聯纏
森森林樾無人語
爽籟時時奏管絃
平戸領地方八竒勝(平戸八景)は、平成27年(2015)3月10日に潜龍水、大悲観、福石山を、平成28年(2016)10月3日に巌屋宮を含む残りの8ヶ所が国指定名勝に選定されました。
鎮座地は、昭和20年(1945)6月29日の佐世保大空襲の被害の多かった地域で、多数の方々が無くなった須佐トンネル(不老洞)の近くでもあります。戦後、空襲で家を失った人々が住み着いたため、侵入者を防ぐためと参拝者の利便を兼ねて、昭和30年(1955年)頃に洞窟を塞ぐように拝殿が建立されました。
【境内社など】
「水神・白髭大明神」
社殿向かって左。一番社殿寄りの祠の中に石碑で祀られています。御祭神は水の神様である水波能売命、雷神、並びに雨の神様である鳴雷命、井戸の神様である美井命を祀っています。
「金比羅社」
社殿向かって左。社殿から2番目に祀られています。御祭神として大物主命を祀っています。海上安全・大漁祈願の御神徳があるとされています。
「稲荷神社、大神宮・八幡大菩薩・春日大明神」
社殿向かって左。赤い鳥居のある一角に鎮座。宇迦之御魂大神を祀る稲荷神社は、五穀豊穣・商売繁盛の御神徳があるとされています。稲荷神社の向かって左手には、大神宮・八幡大菩薩・春日大明神・猿田彦神の石祠・石碑が並んでいます。
「高天宮」
社殿向かって一番左手を少し登って奥に鎮座。昭和36年(1961)に高天町から遷座しました。御祭神は天之御中主神。造化三神の一柱、星の神様、長寿・開運招福・安産の御神徳があるとされています。
「御神木(槇)の由来」
この槇の木は慶長元年(1596)平戸藩主松浦肥前守松浦隆信は豊臣秀吉、朝鮮に軍を起こすや兵船を編成し子の松浦鎮信、孫の松浦久信に指揮せしめて大いに勇名をはせたり。戦い終わりて慶長2年(1597)8月、松浦隆信が当社に戦勝奉告の参拝をし記念にこの木を手植せり。去る佐世保大空襲にも焼失せず。亭々としてその勇姿を残し聳え立っている。樹齢およそ400年と伝えられている。[※現地案内板]