「虚空蔵さん」の愛称で親しまれ、有明海に臨む四ツ山の山頂に鎮座する四山神社は、6世紀後半に造られ、虚空蔵菩薩が降臨した地とされる四山古墳に、延久2年(1070)菊池氏初代の菊池則隆がお堂を建立したのが創建です。
虚空蔵菩薩の「虚空蔵」は、宇宙のような大きさを持った無限の知恵と慈悲を内包した蔵を意味しています。そのため虚空蔵菩薩は、人々の知恵や記憶を司る菩薩で、丑、寅年生れの守本尊、13歳の守護神・守本尊(13参り)とされています。
慶長10年(1605)11月に加藤清正が再建した後、細川家の所領となり崇敬の念厚く、度々お参りされ、九曜の定紋幕を奉納し四山神社の社紋になりました。江戸期、虚空蔵信仰は益々盛んになり、近郷近在はもとより、九州一円に広まっていきました。明治元年(1868)に神仏習合を分離され、虚空蔵菩薩の徳に相当する造化の三神である天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三柱をお祀りし、四山神社として発足しました。
本殿の横、神殿玉垣内に鎮祭される四山古墳は、虚空蔵菩薩降臨の地とされ、6世紀後半に海岸の巨石を運んで造営された横口式巨石墳です。金環、勾玉、丸玉、馬具、武器、壺などの土器類を始め、数々の副葬品と祭祀遺跡が発見され、信仰の霊地とされていたことが明らかとなっています。現在、その副葬品は社務所に保管されています。
毎年、春の2月13日と秋の9月13日には大祭が斎行され、「こくんぞさん祭り」と呼ばれて親しまれています。多くの露天商が並び、小中学生の浦安の舞や豊栄の舞が奉納され、「福銭五円」を借りる人で前夜から夜通しの参拝者で賑わいます。
「福銭五円」は、神社から借り頂いた「福銭五円(五円硬貨)」を、神棚や財布に納めて御加護をいただいた後、倍額以上を添えて返し、新しい「福銭五円」を借りる「福授け」の風習です。五円硬貨の意匠は、平和を願い、稲穂は農業、水は水産業、歯車は工業、裏面の双葉は林業を表し、産業繁栄の願いが込められていることから、商売繁昌、縁結び、家庭円満に御利益があるとされています。
また、露天商にて販売される名物の郷土玩具の「はじき猿」と「ピンピン鯛」も縁起物として知られています。「ピンピン鯛」は、ピンピンと跳ねて悪運を追い返す、跳ねながら手元におりてくることから大漁の御利益があるとされています。「はじき猿」は、「はじき弓」ではじくと勢い良く跳ね上がることから、災厄をはじき去って福をもたらすとされています。
四山神社の西隣に奉斎されているのは、豊玉姫命を御祭神として祀る綿津見神社です。古来、四ツ山の南の大島地区の人々が、海運・漁業の守り神として信仰してきました。天慶7年(944)に記された 現存最古の国内神名帳である「筑後国神名帳」に「大島の神」として公録され、 古墳を築いた人々の時代から信仰されている神社です。
10月26日の例大祭は、江戸時代から伝わり、座祭りとして親しまれています。玄米、白米、酒、魚、餅、野菜、果物といった一般的な神饌の他に、炊飯米、甘酒、芋煮しめ、大豆を煮た座禅豆、梅干、トサカ(海藻)、女竹でできた水筒である掛繰り等をお供えして神様を持て成します。神事が終わった後の直会ではお供え物を神様の前で頂き神人饗宴の食事会が行われます。
表参道は、南側より300段の石段となっています。その表参道を上がって境内の手水舎の手前に鎮座しているのは、大吉稲荷神社です。