宮浦宮は、延長5年(927)延喜式神名帳に官社「宮浦神社」として記された延喜式内社です。
『延喜式神名帳』延長5年(927)編纂』
大隅國五座。[大一座・小四座]。囎唹郡三座[並小]。大穴持神社。韓國宇豆峯神社。宮浦神社。
創始は不詳ですが、紀元前、神武天皇未だ皇太子の御砌、大和国への御遷都の大事業御推進にあたり、当地に御駐輦・御船出された御霊跡に社殿を造営と言い伝えられ、御東征の御船出の地、建国・海軍発祥の地とされています。
社殿前に亭々と聳え立つ一対の大銀杏は神武天皇のお手植えの、植え次いだ2代目の御神木(ともに樹齢凡そ1200年)として知られ、古代祭祀・建国発祥を今に伝える唯一の物証となっています。
類火にて證文・社記悉く焼失していますが、宝暦2年(1752)4月に産子中より正一位の神位が願い出されたと伝えられています。同年12月18日には従二位神祇権大副であった卜部兼雄卿より昇階の事が天聴に達し最高の御神階である「正一位」の御宣下に浴します。さらに勅許により時の祝の坂元盈富が上洛して勅宣・位記、口宣案、更に御幣十三体を授けられました。宝暦3年(1753)5月15日に奉幣の儀が執り行われて御幣十三体を寶殿に奉納し、「正一位宮浦大明神」と記された勅額が鳥居に掲げられ、宮浦大明神と称されました。神階を授けるに至った宗源、及び勅旨の内容は、当社の御祭神の嫌いな事として、氏子が麻苧を作ること。正月25日(神武天皇の旅立たれた日)以前に機杼織ること。同日以前に灸をすること。その三つがあって厳しいため、神位の昇叙により神慮の寛恕を得る事が記されています。
尚、社記ではこの宣下は、享保11年(1726)12月18日に口宣案・位記が下賜され、享保12年(1727)5月9日、社人が宣命・宣旨・官幣を奉守し城内の奉遷記録所に安置したと記されています。
神宝として7寸4分の長さの獅子丸剣(志々王剣)、6寸8分の長さの金剛剣の二振りが納められており、神武天皇の御剣と伝えられています。また、天保14年(1843)に編纂された『三国名勝図絵』によれば、二振りの宝剣は源頼政が鵺退治をした時の剣とされ、金剛剣は源頼政が鵺にとどめを刺した剣で、獅子丸剣(志々王剣)はその褒賞で賜った剣と伝えています。累代廻城(仁田尾城)に住した廻氏の祖である源宗綱は、源頼政の末裔であったとされ、宝蔵していたと伝えられています。廻氏は元は厳島大明神社を勧請して産土神として祀っていましたが、廃社されたことから、寛永13年(1636)廻頼次の代に当社で斎行されるに至ったのが背景にあると考えられています。
往昔には年に例祭が7度あり、明治以前は正月25日(神武天皇の旅立たれた日)が大祭でした。大祭では、厳島大明神社に由来すると考えられる神事「神の的」と名付けられた射法が行われました。源頼政の鵺退治に因んで悪気を祓う神事で、5尺8寸の直径の的を境内に懸け、矢渡の役の山田家と神官二人が烏帽子・狩衣にて是を射るものでした。弓二張、小刀一腰に衣裳を着け、神社の御物を著用していましたが、山田利安が地頭の時、神社より奉寄進の御願いがあり、地頭所より相渡されたとされています。
島津義久(龍伯)が福山御馬追を上覧の時に参詣があり、地頭の山田利安が御供し、祝の先祖の坂元加賀太夫が御前に召出されます。上意を蒙り御馬繁栄が祈願され、御馬追の際に青毛の馬一頭を毎年奉納されることとなりました。享保11年(1726)10月24日からは青毛の奉納に変えて青銅100疋の奉献となったと伝えられています。
明治6年(1873)5月県社に列格。明治40年(1907)1月18日に幣帛供進社に指定。明治44年(1911)2月17日に無格社の愛宕神社が本社に合祀されました。
平成12年(2000)8月、境内の土の中から「宮浦宮」と彫られた御影石の標柱が発掘され、同年10月、宮浦宮と改称の認可を受けます。平成14年(2002)9月から改築御造営事業が進められて仮殿遷座祭を斎行。平成21年(2009)9月に205年ぶりに御本殿を再興し、正遷座祭が斎行されました。平成23年(2011)5月には勅使殿、拝殿が完成し、平成の御造営「竣工鎮座大祭」が厳粛盛大に執り行われました。元の社殿は寛政3年(1791)の大火で類焼し、当時の26代藩主・島津斉宣が再興したものとされ、現在の社殿は、神明造り、一部権現造り。御神殿、幣殿、拝殿、勅使殿。神明造りの中で(階、御錠、御鍵穴の無い)の御本殿は全国でも初とされています。
神武天皇様に因む神蹟として神武天皇の「腰掛石」と呼ばれる座椅子型の石が東宮の御神体(二座)とされ、境内には「御駐蹕伝説地宮浦」と記した石碑が建てられています。また、北方3km程の海岸に突出した若皇子鼻という地名は、かつてこの地を巡幸した神武天皇の若い時の御名・若御毛沼命によるとの古伝も伝えられています。
【境内社など】
「神貫神社」
社殿向かって右に鎮座。天児屋根神、武甕雷神、経津主神を御祭神としています。
「石上神社」
社殿向かって左に鎮座。:布都御魂大神(剣の神)を御祭神としています。
「竈門神社」
社殿向かって右、神貫神社の奥に鎮座。火産霊神、奥津彦神、奥津比女神を御祭神としています。
「大綿積神社」
鳥居過ぎ右手、海に面して鎮座。海神、海幸、及び航海安全を守る神としてえびす様を祀っています。
「門守神社」
参道階段の両脇に鎮座。向かって右は櫛石窓神、左は豊石窓神を祀っています。境内を巡視する神とされています。
「福山のイチョウ」
県指定文化財(天然記念物)。昭和39年(1969)6月5日指定。宮浦宮境内に並び立つイチョウは、神武天皇の御東征前の仮宮であったことを記念して植えられたと伝えられています。
向かって右の木には、寛政3年(1791)の大火による傷痕があり、左の木には、明治10年(1877)の西南戦争で官軍から受けた砲弾の痕が見られます。右の木は、樹高約38m、樹周約7.55m、左の木は、樹高約38.6m、樹周約7.6m、樹齢は共に1000年以上という説と600程度という説があります。春先には枝一杯に若葉を付け、秋には黄葉、初冬になると境内が黄色の絨毯を敷きつめたようになります。
【神事・祭事】
毎月1日に朔日祭、15日には月次祭が行われます。
- 正月元日 歳旦祭
- 正月03日 元始祭
- 04月03日 大祭
- 06月30日 大祓式
- 07月吉日 献灯祭(六月灯)
- 11月23日 新嘗祭(ほぜ祭り)
- 12月18日 正一位ご宣下記念祭
- 12月31日 大祓式・除夜祭